菊岡家の”歴史”
─ History ─
当店のご案内
─── 菊岡家の縁起 Prognostic
菊岡家は、もと藤原氏の系。 八百年程前、平安時代の末、清和源氏権勢最も盛んであった朝日将軍木曽義仲公の室 栄松院殿は、世の多くの病人を憐れみ妙薬を求められました。当時、学徳の誉高い唐馬騰氏に薬学を学び、特に伝授された漢方薬を、当家に伝えられました。
─── 成り立ち Formation
元暦元年正月、義仲公は江州栗津ヶ原に討たれ、栄松院殿は、淨源、叡尊の二子をつれて、大和国白土に居城した白土家に逃れ、淨源は白土家の名跡を継ぎました。
室町時代永正年間に、白土法眼胤英は、菊花を愛し、後柏原天皇に献上いたしましたところ、御感非常に深く、その賞として菊岡の姓と裏菊の紋を賜り、以後白土を菊岡と改めました。

それより前文明十二年に三条通りに居を移し、朝廷より都官府衆徒の重職に任ぜられ、代々春日大社、興福寺の守護と、奈良の町の治安とに当たってきました。その傍ら薬学を研究し、多くの病人に施薬しては、難病に苦しむ人達を救い、大変喜ばれました。
─── 出来事 Event
特に戦国時代、永禄年間に、菊岡宰相宗政は、強弓の達人として天下に聞こえておりましたが、感ずるところあって仏門に入り、禅照庵という一寺を建立し、多くの病人を救いましたので、善誉上人として世の人から仰がれました。それで、この寺は朝廷から、紫雲山西照寺という山号寺号を賜り、徳川家康公からは、家康院という院号を贈られました。

やがて明治維新になって、漢方薬を商売とすることになりましたが、代々祖先の精神を受け継ぎ、漢方薬の研究に品質の吟味に、励んできましたので、その評判は口から口へと伝わり、難病の治った方々から、丁寧な感謝状を沢山よせられております。

平成十四年秋に、五二〇年間親しんだ三条通りから、奈良で一番古い町「ならまち」に移り、現在に至っております。 ここにその起源を略記いたしまして、安心してご服用くださいますよう、希望する次第でございます。
取扱商品のご紹介
─ Production ─
一覧を見る